法善寺で墓参が行われる
8月4日(金)、法善寺(本塩1)で、1886年(明治19年)、当時の「行徳村」をコレラから守ろうと奔走した瀧巡査の墓参が行われた。
当時、コレラで娘を亡くした両親が、コレラで亡くなったことを「お産で亡くなった」として葬式をあげ、食事をふるまったことで参列者に感染者が出てしまった。
村人たちは、コレラの恐怖におびえた。当時行徳の駐在所に赴任してきた瀧巡査は、コレラについていち早く学び、村人たちへ「手洗いやうがいを徹底してください」「川の水は感染の危険性があるので、川に入らないで」と、一軒一軒説明して回った。しかしコレラの猛威は避けられず200人もの人が亡くなってしまった。
その状況に、時にはコレラを広めてしまった家族に対し非難の声が聞かれることもあった。しかし瀧巡査は「コレラの恐ろしさを知らずにやったこと。親なら立派に葬儀をしてあげたいと思うものです…。この先感染しないよう、努めましょう」と懸命に語りかけた。その言葉に、元来優しい気持ちを持った村人たちは心から頷いたという。
コレラの終息に力を尽くした瀧巡査だったが、明治19年、自身もコレラに感染してしまい、33年の生涯を終えた。
墓参当日は、顕彰碑に向け住職がお経をあげて、大丸範雄行徳警察署長をはじめ署員、行徳警察署警察官友の会のメンバーも手を合わせた。
墓参を終えて行徳警察署の大丸署長は「瀧巡査が身をもって示された勇気と崇高な精神を忘れることなく、管内治安の確保に全力を尽くします」と力強く語った。