公開日: 2024年9月17日

村を守るために奔走した若き巡査を弔う 法善寺で墓参が行われる

行徳新聞
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8月8日(木)、法善寺(本塩1)で、1886年(明治19年)に当時の「行徳村」をコレラから守ろうと奔走した瀧巡査の墓参が行われた。
当時、コレラで娘を亡くした親が「お産で亡くなった」として葬式をあげ、食事をふるまったことで参列者に感染者が出てしまった。村人たちはコレラの恐怖におびえた。当時行徳の駐在所に赴任していた瀧巡査は、コレラについていち早く学び、「手洗いやうがいを徹底してください」「川の水へは入らないで」と一軒一軒説明して回った。しかしコレラの猛威には勝てず、200人もの人が亡くなってしまった。
時にはコレラを広めてしまった家族に非難の声が浴びせられることもあったが、瀧巡査の「コレラの恐ろしさを知らずにやったこと。親なら立派に葬儀をしてあげたいと思うものです…。この先感染しないように努めましょう」と懸命に語りかけた。その言葉に、元来優しい気持ちを持った村人たちは心から頷いたという。
瀧巡査は明治19年、自身もコレラに感染してしまい、33歳の生涯を終えた。
墓参当日は顕彰碑に向け住職がお経をあげて、増田哲也行徳警察署長をはじめ署員や行徳警察署警察官友の会のメンバーが手を合わせた。
増田署長は「瀧巡査が身をもって示された尊い遺志を受け継ぎ、管内の治安維持確保に全力を尽くします」と決意を新たにした。

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