「キリシタン灯籠」と呼ばれるものは全国に約100基以上あるという。九州や関西に多い。房総半島にあるのは2基で、そのうちの1つが妙覚寺(本行徳15‐20)にあるキリシタン灯籠だ。
妙覚寺の梅木是温氏によると、境内でこの灯籠が発掘されたのは第二次世界大戦後間もなくのこと。ある日、キリスト教信者と名乗る人が寺にやって来て、境内にあったごく普通の灯籠を指差し「これはキリシタン灯籠ですよ」と告げた。「掘ってみてください」との言葉に従い、住職が灯籠の周りを掘ってみると、確かに普通のものとはかなり形が異なった灯籠の姿が現れたという。中央部に舟形の窪み彫りがあり、中にマントを着たバテレン(神父)が靴を履いた姿が彫られている(靴の部分は地中)。
キリシタン灯籠は、このように地中深く埋められていることが多く、地上部分だけを見ると、ほかの灯籠と同じように見える。豊臣秀吉や江戸幕府時代、キリスト教禁止の弾圧を受けていた潜伏キリシタンたちが、密かに帰依する対象として作ったのだという。
妙覚寺は、かつて無住職の時代があったといい、「その頃に埋められたのではないか」と梅木氏は推測する。