新旧の魅力を併せ持つ行徳
今年11月3日(祝)に市制90周年を迎える市川市。私たちが暮らす「行徳」をさまざまな角度から紹介します。初回は行徳の歴史とエリアとしての魅力を探ります。
70年前、行徳は市川市になった
戦国時代にすでに塩の産地だった行徳。江戸時代には塩を運ぶための水路が整備され、船も就航。やがて塩だけでなく人や物資の運搬も盛んになり、成田山詣の人々も船でやって来ては行徳街道から成田山に向かったと言われている。そんな歴史をしのばせるのが寺や神社、古い建物が残る行徳の街並みだ。
行徳町が市川市に編入したのが1955年。翌1956年には南行徳町が編入。その後、埋め立てによって本行徳や塩浜、新浜という新たなまちが生まれ、現在の行徳という地域が出来上がった。
1969年に東京メトロ東西線が開通すると、それまでの水田やハス田、海苔干し場が広がるのどかな風景は、集合住宅が数多く建ち並ぶ住宅地へと姿を変えた。
多彩な顔と暮らしやすさが人々をひきつける
行徳といえば何が思い浮かぶだろうか。
寺社や神輿、特産の海苔。緑と水辺。天皇陛下が皇后陛下にプロポーズしたことで知られる新浜鴨場。東西線の3駅を有する利便性の高さ。ベッドタウン。スーパー激戦区。また、約18人に1人が外国人で(市川市全体では26人に1人/2023年9月30日現在・市川市調べ)、多国籍な料理を味わえる飲食店がひしめくグルメタウンの顔も持つ。
歴史あるものから新しいものまでが揃う行徳にひかれて移り住む人も多い。エリアとしての魅力を、京成不動産妙典センターの冨原センター長は次のように話す。
「東西線は乗り換えもしやすく利便性が良いこと、道路幅が広くきれいな区画が多くて家を建てやすいこと、都内に比べて割安感があることなどが、行徳エリアの魅力。特に将来を見据えて居を構える40~50代に人気です。また新旧の街並みがありますので、情緒豊かな街を好む方、海側の新しい街並みを選ぶ方など、幅広く対応できるのも行徳の特長だと思います」
今年6月30日現在、市川市の人口は49万4788人で、そのうち行徳には16万7910人が暮らしている(市川市調べ)。
代々この地に住んでいる人、新しく住人になった人、ここで働いたり学んだりしている人など、さまざまな人が行き交う行徳。この地をもっと知るとともに、あなたにとっての行徳の魅力を探したり、新たな行徳の一面を作ってみませんか。