じゅえむばなしを追う
(編/米屋陽一)
●北方の久兵衛
じゅえむは、北方の久兵衛に奉公していて、北方の久兵衛のおかみさんが人を使うの上手で、ここのおかみさんには三年使われたって、泣いたっていう話もあんですけどねぇ。
北方の久兵衛で働いていたというのは、それはいくつもあるけども、これは実話かも知れないですよね。鷹の番と北方の久兵衛に奉公した話が有名になってんだけども。ほかの話は本になってたくさん出ているけれども、じゅえむばなしみたいな話は、みんなじゅえむにくっつけちゃったじゃねえかと思われるような話もあんですよね。
●ツタ女の語り・鷹の番
子どもの時、鷹の番やってくれって頼まれて、「俺、出来ねえ」って。
「ただ、見ているだけでいいんだから、鷹に何か変わった事あったら知れせればいいんだ」
「どうやって知れせるんだ」
「鷹匠様を起こせばいいんだ」「それなら出来るべ」って。まあ、子どもながら引き受けたんだって。
役人が夜になって寝てしまいますとね、いい気持になって寝ていると、トン、トントンと、戸を叩いて、「鷹番のじゅえむです」と起こすので、役人は何事かと思って、びっくりして起きてみたら、「鷹がまばたきをしましただ」と言ったんだそうです。
役人が、「なんだ、まばたきぐらいで起こすやつがあるか」と怒って、また寝てしまったんです。
そしたら、しばらくすると、いい気持になって寝ていると、また起こしに来て、こんどは、
「鷹が大きく口、開けましただ」って。いちいち報告に来て、寝せなかったんですって。
<ききみみ> 『ふなばしむかしむかし』(第5号・1995年・船橋の民話をきく会)所収。じゅえむが生まれたとされる印内(いんね)村(現・船橋市印内)を冠して、「印内のじゅえむ」と語られます。また、じゅえむは隣村の北方(ぼっけ)村(現・市川市北方・本北方・北方町)の久兵衛(きゅうべえ・屋号)に作男・奉公人として雇われたとされ、「北方の久兵衛」と語られます。本北方・北方は「きたかた」、北方町四丁目のみが「ぼっけ」です。
<語り手>田中長吉(たなか・ちょうきち)/1901(明治34)年~1991(平成3)年。農業など。船橋市印内に住む。『印内に生きる明治の男―田中長吉の一生―』(1985年)の著書がある。土佐ツタ(とさ・つた)/長吉の長女。船橋市本郷町に住む。1927(昭和2)年~不詳。
<編者>米屋陽一/口承文芸学研究者。元日出学園中学校・高等学校教諭、元國學院大學文学部兼任講師。日本民話の会会員、「米屋陽一民話・伝承研究室」主宰。市川市南大野在住。